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神頼み

振り返ると祖母の信仰心は人生での辛さだったのでは無いかと思うことがあります。祖母の信仰の先は弘法大師で、高野山真言宗でした。子どもの僕に理解できなかった事が今だと気がつく事があります。

僕は身体が弱かったのですが、19歳頃に突然に回復しました。その弱さを何とかしようとこのブログでも何度か書きましたとおり、祖母の神への帰依が深まるのです。が、僕は18歳ごろに家から独立しました。学校へも一人暮らしをしながら。食事も適当になりがちですが、自分で考えるようになります。僕は好き嫌いが多く、野菜も殆ど食べれませんでした。ところが、自分で意識して食事をし始めると、何か普段の食べ物、野菜ですら美味しさを感じるようになります。19歳から数年の間で偏食がまったく無くなってしまいました。

これは霊的なものではありません。環境の差なのです。母親が料理できなかったというのも原因の一つでもあります。きっと祖母は身体の弱い僕を見て、食事のせいだとは思わなかったのでしょう。この場合、祖母が僕の身体を気遣い、神に祈るほど、神は僕をこの家から出そうとしたのか、いや、家を出る運命だったのかと感じることがあります。それにしても原因を考えないで、救われるために信仰するのは本末転倒だと感じます。世の中、こんな話が多いのでは無いでしょうか。自分のことは棚に上げてとは言いますが、まずは足元から確認した方が良いようです。
自由が丘でノラ子達と暮らす外資系企業マーケターです。次の違う人生を考えながら、街のノラ子、世の流れ、はたまた超常現象など書いていきたいと思います。

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