パワースポットとはなんだろうかと考えています。
例えばこの大山寺のHPを見ると、
争い事が多かったり、怪我が多かったり、周りの配慮が無くなると危険、だから護摩祈祷しましょうと書いてあるけれど、これはおかしい。本人が原因に気が付かなければ何も変わらないと僕は考えています。ですから、このように他力本願になってしまうと、何も起こらないのでは無いかと。なんとか幸せにと、大難を避けたい気持ちはわかります。僕もそうです。しかし、それをはねのけるは自分自身です。これが難しいのですが、何が悪いのか客観的に見るのが大変に困難かと思います。
客観的に自分を見つめるというのは、悟りを開こうとする人たちの通る道でもありますので、それを一般の人たちでも出来るのか僕もわかりません。しかし、気が付かなければ何も変化しません。本物の霊能師たちは気づきを促すのでしょうけれど、それを聞いた本人はなるほどと思っても、果たして本当に理解しているか微妙でもあります。
今年のGWに大山へ行きました。霊山でありますが、大変多くの人が訪れハイキングを楽しんでいます。険しかった雨降山、大山寺にもケーブルカーで誰でも気軽に訪れる事が出来るようになりました。しかし、この手軽さにより本来のカリスマ的な魅力は薄れているでしょう。困難な道を登り、その厳しさの中で考える。ある種の修行による内観が出来なくなってしまっています。とは言いましても大山寺自体には荘厳なオーラが漂っていました。周りのノイズレベルが下がれば、自分の音が聞こえるようになり、何かが見えてくるかもしれません。
まずは静かな場所で一人考えてみると、八方ふさがりの状況にも打開策が思いつくものです。
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