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心霊中古 クルマ編 その3

その2より
クルマ編に出会いの予言と別のエピソードも入れてしまいました、まずはクルマ編を中心に、後日、別エピソードを書きます。よく考えれば意外と不思議体験をしているのかもしれません。

名古屋では様々な事を体験しました。左手中指の第1関節のあたりの動脈の上に血腫が出来てしまい、血が止まらなくなりました。血腫を切除し縫合すれば治るが、指が伸ばせなくなると言われた。僕はピアノもギターもやりますので、血腫の切除には少し考えました。1件目がだめなら2件目の整形外科。偶然に血が止まって治るかもしれないけど、と自信も無さそうに。3件目ネットで愛知医大の形成がいいらしいとの事で、某教授を目掛けてダメ元で行くと、あっさり、こりゃこうやって切ればいいと、その場で切除。指はまったくの元通りになりました。但し、神経への麻酔が激痛でこれは痛いを通り越す程の。。。などと幸運なのか、不幸なのかこのような事が起こります。

土日はクルマで近場の山へ行きます。香嵐渓はとても綺麗です。足助も好きな場所。予言通りのわりと充実した日々もありました。僕の親にも年に1度位は会いに行くかと、クルマで向かいます。タイヤも交換し一段と静かに走るようになりました。
親に会い、僕が名古屋へと帰る日、洋服屋に連れてけと親が言うので、途中まで親を乗せ、その店で降ろします。後は弟が迎えに来るとかで僕は高速へと向かいました。

その日は10度くらいだったのですが、高速の方面へと向かうと雨が降り出し、温度もどんどん下がり始めます。いつの間にか、雨が雪になりましたが道は白くはなりませんでした。ペースを上げつつ山を上ります。外気温は5度くらい。ちょっとペース落とそうかと思いながら長いトンネルへ、メーターは見ていませんが、100km/hは出ていないかと。

トンネルにいると外の状況はわからなくなります。出口が眩しく見え、そのまま抜けると、左に大きくカーブした光る道。まさかの凍結路面アイスバーン!そして深い降雪。そこはさらに高架橋となっており、目の前の真っ白の銀世界にただ流れるがままのテール、ブレーキはまったく効きません。
カーブを曲がりきれず、そのままクルマは対向車線を飛び越えスライドしていきます。右前方がクラッシュ。焦げ臭い匂いとともにエアバッグ、締め上がるシートベルト。右後方が2発目のクラッシュ。コンクリートウォールに2度あたり、さらにバウンドして、元いた車線に戻ります。僕はその流れる風景を流れるがまま見るだけ。最後に左後方がクラッシュ。3バウンドしてクルマの左側を擦りながら停車。いつのまにかハザードが点滅しています。メルセデスの安全技術は凄いなぁとぼんやり。クラッシュしたクルマからふらりと降りて、あぁやってしまったと警察に電話。そこにいて下さいと、僕は事故現場で警察を待ちます。

沢山、警察の人が来て、交通整理やいろいろ初めてます。怪我は大丈夫と何度も僕に聞かれました。そうなのです。僕はまったくの無傷でどこも怪我がありません。Cクラスは、くの字に変形しています。今思えばなぜ僕は無傷だったのか。。。親に電話してクルマを軽くぶつけてしまって、迎えに来て欲しいと連絡したら、弟と随分経ってから現場に到着し、僕のクルマを見て唖然としていました。僕はまったく、何も無いのです。だから普通に電話して、普通にしていました。クルマを見た母親は涙目になってました。

クルマ屋へトランポで持ち込みました。査定通りの完全なる全損。保険会社からも身体に傷は?病院へは?そして高架橋のコンクリートウォールなどの損害は?と持ち込まれたクルマの状況を見て、無傷だった僕を執拗に疑っていました。でも何もないのです。事故のインパクトの瞬間もふんわりと何も感じていません。病院へも行きませんでした。

その後、東京でクルマをいっしょに見に行った友人に話すと、偶然あったCクラス以外のクルマだと死んでただろうなと。あのCクラスはずっと僕をクルマ屋で待ち続け、最後は僕を守りパーツ屋へ解体されました。メルセデスの技術か、偶然か、目に見えない誰かの仕業か。この後、僕は予言どおり東京に戻ることになり、違う道を歩くようになります。
その話は出会いの話も含めてまた。


自由が丘でノラ子達と暮らす外資系企業マーケターです。次の違う人生を考えながら、街のノラ子、世の流れ、はたまた超常現象など書いていきたいと思います。

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