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医療へ感謝

僕には感謝しなければならない人達が多くいます。年に一度位はめまいでぶっ倒れます。それも恐らく耳管開放症の影響だったのだろうと思うのですが、風邪と併発したり、ノロにやられたりすると、もう何が何だかわからなくなり、地下鉄の駅とかでひっくり返っていると、ここにいられても困るから救急車呼びます。というような事もありました。一人で生きてきたみたいな事を思うこともあるのですが、こうして多くの人に大きな迷惑もかけております。普段もわりとすぐに病院に行っては治療してもらいます。これは僕にいつもどこか親が早く死んでしまった子の特性で、親の亡くなった年齢を越えてくると不安になってきているからかもしれません。死に対する漠然とした恐怖があるのだと思います。

それを紛らわすかのように人生はどうの、運命はこうでとか言うこともありますが、自分自身の事に関しては一層に自信が無いのです。寿命に関してもわかりません。ですから一人で生きているのでは無いということを実感する一つの瞬間、病院へ行くとあぁ助かったなぁといつも感じるのです。その相手は仕事でもあるということを忘れてはいけません。

2年前の夏前のころ、夕方にめまいが酷くなり、耳管開放症もまだ良く知らないころですのでクスリ無しで我慢をしていると、ついに倒れてしまい。入った病院では宿泊は不可能であるため、救急車で別の病院へ転送されたことがありました。その救急医療の現場で、大変、骨を折って僕を助けて頂いた方がいらっしゃいます。CTやMRIやひと通り調べたのですが原因がわからず、ベッドで少しでもアタマを動かすと猛烈な吐き気で動けない時、あちこちの科へと僕のベッドを引っ張ってくれた人です。いつも一人で運んでくれました。

どこを調べても原因がわからなくて、担当医が恐らくあなたはメニエルの一種を持っているはずといって、耳鼻科に行ってもわからずにいると、もうここにいてもらっても困るし、そろそろ病院から出て行って欲しいと言われてしまいました。

取り敢えずめまいを止めるクスリを欲しいとお願いし、これが効くまで待って欲しいと言うと、そのうちにめまいや吐き気が収まり初め、それまでの12時間以上、苦しみ続けていたのが、ゆっくりと引いていきます。立って少し歩けるようになり、病院を出ようとする時、僕をずっとベッドで運んでくれた人にお礼だけは必ず言おうと、その人を探してフロアに行き、ありがとうございますと言いかけると、何だか涙が出てしまい、その人が良かった、良かったねと何度も言われました。今、思い出しても辛く変わった一日だった。

人の手に助けられることは、どんなに有難いことなのだろうかと。霊感話ばかり書いてると時に忘れてしまうのです。この一連の話も何かが僕に訴えかけるようでもあります。人生自体がそういうものかもしれないのですが。
自由が丘でノラ子達と暮らす外資系企業マーケターです。次の違う人生を考えながら、街のノラ子、世の流れ、はたまた超常現象など書いていきたいと思います。

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