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父親の死ぬ日。猶予を与えた存在。

父親が亡くなったのは僕が13歳の時。
僕が小学校に入って数年後には、もう自宅と入院とを繰り返すようになりました。当時の僕には父親の体のどこが悪いのかわかりませんでした。ただ家庭的には父親は婿養子でもあり、父親と僕とは一定の距離があり、病気のことは分からないでいようとしていたのかも知れません。

中学に入ると父親は、数ヶ月入院し、自宅で数か月休むを繰り返します。調子の良い時に仕事に行ってもすぐ帰ってきます。僕には新しい友達も出来て親の存在も薄くなりだした頃の、中学2年生の5月、美術の時間に事が起こりました。

風景画を描いて、空を灰色と濃い青で塗り始めた瞬間でした。美術の先生がちょっとこっちにと、準備室の方に連れて行かれると、君のお父さんは悪かったの?と聞かれ、僕はまったく当てもなく、いやぁ知らないですとしか言えません。さ、早く病院へ行きなさいと言われ、普通ではない状況に気がつくのですが、まだ死ぬという実感がありません。
病院に着くと僕の親父は呼吸が、あの死を待つ人のぜーぜーという呼吸音に変わっています。親父の兄妹もいます。僕の従姉妹も。そして弟も。

小康状態が続き、母親と僕と弟でご飯を食べている時、弟がお父ちゃんはもうダメか?と母親に聞くと、もう。。。としか言いません。その時、死ぬなと普通に思いました。夜も病院に泊まります。そして次の日に病院の前で弟と遊んでいると、祖母が早く来なさいと僕らを呼び、病室に行くと、父親は亡くなっていました。僕には状況がよくわかりません。親父が病気でいない生活もすでに5,6年経ちますし、何年か前に親父と話したと言っても、向こうがよく来たなと言い、腕が細くて、なんだか別の人になったなと思ったくらいで。

親父が亡くなった後、僕の祖母が病室の荷物を片付けている時、亡くなった親父の足を触りながら、時計を見て、「あぁ、ちょうど半年経ったか。。。」とポツリと独り言。

僕はそれを聞き逃しませんでした。何?何が半年経った?と聞き返したところ、
去年の12月にある寺の住職に親父の事を聞きに言ったと僕に話始めます。すると住職はもう鐘が鳴っていると祖母に言うので、そこを子どももいますし、なんとか死は避けれないのかと聞いたところ、半年の命を延ばしてやると言われたそうです。その日付からちょうど180日後のこの日、父親は亡くなりました。

僕は神は信じていないです。宗教もありません。しかし、何かが僕や家族に影響を与えているのだろうとこの時に知るのです。

自由が丘でノラ子達と暮らす外資系企業マーケターです。次の違う人生を考えながら、街のノラ子、世の流れ、はたまた超常現象など書いていきたいと思います。

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